【ブログ】師走と右折恐怖症

あっという間に12月になってしまった。

後期は担当授業が少ないので、10月くらいの時点で「意外といけるんじゃね??」と12月に予定を詰め込みがち。そして当たり前のように今苦しい。毎年学習しない私…

 

着任したばかりのときは私は教員である自覚が全くなくて、いわゆる「師走」ってやつだけど別に走るほど忙しくないよね?と思ったりしていた。今思うと初年度マジック(委員も免除されてたしゼミも持ってないし学部の完成年度前で授業も少なかった)だったのだと懐かしいです。

 

年末に向けて慌ただしくなっていたところ、先日接触事故を起こしてメンタル絶不調になってしまった(自己責任ですが)。もう二度と右折したくないきもち。教習所の教官に「いざとなったら左折だけでも生きていけますから」と言われたのを本気にしそう。

 

気分を上げるために、インスタでおすすめされた「ごそごそバスケットの隠れ家」とそれ用の毛布カバーをゴロちゃんに買ってあげようか迷う。高いけど、カサカサ言う紙袋みたいなのが猫に人気っぽい。このタイベックという生地はなにものなんだ。

 

Tyvek®ごそごそバスケットの隠れ家用 - 毛布カバーsorbet.pet

 

準備しているデンマーク記録がまだあるのでクリスマスに向けてちょっとずつアップします。

 

【デンマーク記録】話し合い(ダイアローグ)文化

ある日の20時ごろ、友達の家で夕飯を呼ばれて帰ってくると、ホストファミリーの家で今まさに、いわゆる自治会の会議が始まろうとしているところだった。自治会のことはBestyrelsenと呼んでいた。

実は私の修論のテーマは「デンマーク保育所の利用者参加の仕組み」で、保育所の保護者委員会(Bestyrelsen)がめっちゃ施設運営に関与してますよ、というものなのだけど、この「委員会(bestyrelsenとかrådとか言う)」がデンマークではありとあらゆる所で出てくる。生徒会、高齢者施設の利用者委員会、この日に集まっていたのはこの地域の「住民委員会」といったところだろうか。

「ももこも興味があったら聞いてていいよ」

とヤンが誘ってくれたので、お言葉に甘えて同席させてもらうことに(全編デンマーク語なので2.5割も理解できないけど)。ゲストは6人、男性3人と女性3人。ヤンを入れて7人になる。それぞれおそらく30代、40代、50代。ヤンが一番年上じゃないだろうか。でも別に年長者だからって敬われるわけではない。この日は誰か司会がいるわけでもなくて(書記はいるし委員長もいるんだけど)、みんなでダイニングテーブルを囲んで好きに発言している。全員が水平な関係で、誰がエライ、この人の言うことは聞かねば、ということがないのがデンマークの会議の特徴的なところ。

話し合いの内容は、サンクトハンス(*)の焚火をどこにするか、ということ、大学からの騒音について、音楽祭を開く話、大学の設備を使って映画をみるのはどうか、という話。
細かいニュアンスまでは分かっていなかったけど、騒音についてかなりの時間話し合っていたように思う。ある年長の女性が大学の湖のそばに住んでいて、やってくるなり私(所属は大学の客員研究員です)にまで「今までこんなことなかったのに、今年は異様にうるさい!」とエキサイト。
それが議題に上がった時に、みんな「まあまあ」と諫めるというわけでもなく、音はどこから来ているのか、どういう理由できているのか、大学と話し合うとすれば誰と話すのか、丁寧に扱っていた。「それは政治的な話題にすべきか」ということに慎重だったように思う。これは、Bestyrelsenの原則でもある「個人的なことを会議で話し合わないように」ということなのだろう。ただクレームを集める協議体になってはいけなくて、コムーネや大学と住民がいい関係を築いていけるような話し合いでなければならない
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こういう会議を見ていていつも思うが、デンマークの人たちは本当に話し合いが好きだ。他にも「ダイアローグ文化」という言葉を実感したエピソードがある。新学期に大学内でやっているコーラスクラブをFacebookで見つけて参加してみた時のこと。
新学期の最初の練習で、指揮者(顧問)ステファンが持ってきた曲をみんなで歌ってみましょう、という会だった。みんなで譜読みして、休憩時間をはさんで再開すると5人くらい帰っちゃった子がいるのに気づいて、ステファンが真剣な表情になり、「ちょっとしたevaluationをしてくれないか」と言い出した。曲の選定について、みんなに意見を求める指揮者。え?部活の顧問なら勝手に決めてくれよ…と思うが、さすが対話の国デンマーク。17人残った内の1人ドイツ人、1人日本人(わたし)、あとは全員デンマーク人の学生だったが、突然車座になってミーティングが始まる。そして「曲の難易度が原因でかどうかはわからないが、帰ってしまった人がいるとはそういうこと」みたいなシビアな意見が…
「私はVoteがいいと思う」
「私は、あなたが最初に曲をピックアップすればみんな満足だと思う」
「でもそれだとなぜその曲がいいのか議論ができない」
「じゃあ曲についてのプレゼンテーションをすればいいと思う」
「いや、私は貴重な2時間できるだけたくさん歌いたい。曲を決める話し合いにあんまり時間を割くのはいかがなものか」(←ごもっとも)
「それはよくわかる。僕はでも、曲を選ぶということについてひとりひとりの責任が…」
こんな調子!正直めんどくさい!!!みんな大人で、そんなガチな部活とかじゃなく趣味で週に1回歌いに来てるんだから与えられた曲を気楽に歌えばよくない!?
 
でもそう、話し合いっていうのはめんどくさいのだ。民主主義とはめんどくさいものなのだ。誰かその場で異議を唱えている人、意見を持っている人がいた場合、その異議や意見は聞かれなくてはならない。
こういうめんどくさいプロセスを、デンマーク人たちはきっと子どもの頃から練習し、他人の意見を聴くことと自分の意見が聴かれることの価値を学んできたんだろうな。
 
(*)サンクトハンスとは、デンマーク夏至のお祭り。大きな焚き火で魔女の人形を燃やすという、見た目インパクト強めの行事です。
(北欧アンティーク雑貨のImayaさんYouTubeより)
このあと、デンマーク人同僚に「サンクトハンスのファイヤープレイスの場所で30分は話していたよ!」というと「それは大事だから!」と真剣に言われた。子どもの頃は、クリスマスツリーとサンクトハンスの焚火の大きさがとっても重要だったそうです。
 
 
 

【ブログ】ようやく

(実は)島根に赴任したときからブログを書かねばと思い続けて早4年半…。

論文も掃除も事務作業も確定申告も先延ばしにしがちな私が、あほみたいに先延ばしにしていたブログ公開にやっと着手しました。

そもそも2017年にデンマークに在外研究で滞在していたときのことを公開しようと思っていたのだった。どこぞに書き溜めてあった5年前(!)の日記を今日アップしました。

 

「manamusume」というブログタイトルは、亡くなったおじいちゃんが大事に育てていたデンマークカクタスの和名が「まなむすめ」だったので、勝手に「これは私のことでは?」と運命を感じてつけたもの。たぶんこのはてなブログを登録したのも5年前で、記憶があやふやです。

 

タスクが増えて私の情報処理能力はどんどんやばくなっている。外部記憶装置として、備忘録として、そしてアウトプットのモチベーション維持として、ブログという場をちゃんと活用できればと思う。

 

とりあえず年末までにやること、

・年賀状

・クリスマスカード(デンマークに。毎年あきらめる。)

・研究室の掃除(家もだけど)

【デンマーク記録】保育園のこと

デンマークでの子育てについて、事あるごとにピアに話を聞いていた。

彼女は、30歳すぎで初めて妊娠して、三姉妹を育てあげたお母さん。典型的なデンマーク人家庭、子育てには友達家族や親戚と協力して取り組む。3家族合同でスウェーデンに別荘を買って、長期休暇は子どもたちを連れてその家で過ごす。コレクティブ(コミューン)に住んでいたことのある彼女は、「家族を閉じない」「風通しを良くする」ということを意識的に実践していた。

いろいろ面白い話を聞いたのだけど、今日はある日の夕食で話題になったデンマークの保育士さん(ペダゴー)について。

ペダゴーは、デンマークでとても人気の職業である。保育所で働くだけではなく、学童保育や児童福祉関係の施設、ときには成人を対象とした施設などでも専門職として働くことがある。私も、デンマークにいる間に「ペダゴー」を肩書としている人にたくさん、たくさん出会った。

デンマーク保育所はとにかく、子どもを自由に遊ばせる。

日課はほとんど決まっていなくて、子どもがやりたい遊びをする。毎日雨が降ろうが雪が降ろうが(台風並みに)風が強かろうが外に出て行って遊ぶ。しかも、どこの保育所も園庭がめちゃくちゃ広い。初めてデンマーク保育所に行ったときは、「自由でいいなあ」というより前に「本当にこれでいいのか!?」と驚いたものだ。

広大な敷地の森(デンマーク保育所は、バスに乗って森に遊びに行くのだ。保育所が持っている「森のようちえん」が郊外にあったりする)に子どもを解き放ち、ペダゴーたちはいそいそとコーヒーを入れてくつろいぎ始める。日本で、終始気を張って「子どもの安全」に注意を払う保育士さんの姿とは全く違って見えた。森でのおやつ・お昼の時間に、手を拭いたりしない不衛生っぷりにも最初はびびった。(それでいて冬になると手洗い場に「インフルエンザA型が流行っています!」なんて張り紙をしてるから面白い。)

でもそういうことも含めて、日本でデンマークの紹介をすると、ギチギチに管理されてしまう日本の保育所と対比して「自由にのびのびさせていていい」とか「無菌室で育てるよりいい」といった評価をされることが多い。

しかしピアと話していて、現在のデンマーク保育所事情をデンマーク人保護者が丸ごと肯定しているわけではないな、と気づく。
ピア曰く、三姉妹が保育所に通っていた頃は、保育所でタバコを吸うのは認められていた(今はさすがにダメ)。「ビールを飲みながら保育士がタバコを吸っているような保育所に、だれが子どもを預けたいと思う!?」と言われて、デンマーク保育所に過剰な期待を抱くのはダメなのね…と考えを改めました。いろいろ言いたいことはあるよね。


ペダゴーという職業の専門職としての地位は、相対的に低い。これは、ケア職の地位が低いという普遍的な問題で、ピアは、ケア職の地位が低いことに対しては一貫して反対の立場を取っている。けれど「でも専門職の意識が低いペダゴーがいるのも確か」と話す。パジャマみたいな恰好で来て床に座る、そのまま立ち上がって「Monaです!」とかって自己紹介をする。これは専門職のする仕事ではない、と…(これも、デンマークではファーストネームで呼び合っていいわね、と私は思っていたけど)。

いろいろな評判があることは知っていた。「保育なんかしないでコーヒーばっかり飲んでいる」という批判も知っていた。でもそれは良いところのひとつであって、ペダゴー個人がリラックスして仕事をできているという意味でもあると。そう思っていたし、今もそう思う。日本の保育士さんの窮屈な働き方を見ていると、ちょっとふてぶてしいぐらいが、いいのではないか。


そして面白いのは、ペダゴー専門職がその批判に自覚的であること。「私たち、子どもの世話をしないでコーヒー飲んでるばっかりに見えるでしょ?でも考えてるんですよ~」という広告が新聞に載っていたことがあるという。「子どもの世話をしない」保育士、という批判に自覚的ってどんなんやねん!てなるけど、そのふてぶてしさも込みで「デンマークの保育士」なんだろうな、と思う。

 

デンマーク保育所の駐輪場

 

 

【デンマーク記録】Bofællesskabのこと。

昔留学していた頃に仲良くしてくれていたニナのお姉さんが、近所に住んでいる。実は、私が住む家を探してくれたのも彼女だった。

Facebookで「日本人がホームステイ先を探している」と呼び掛けてくれて、名乗り出た複数の候補者にニナが電話で面接までしてくれた。本当にありがたいです。)

そのお姉さんが、夕飯に招待してくれることに。

小さな子ども3人を育てながら、心理士として働くかっこいい女性。彼女の住む家が、いわゆるコ・ハウジング(Bofællesskab)だった。

「近所の人たちとより深く、良いかかわりを作りたいと思っている人が集まる」共同住宅だ、とある。30世帯弱が集住して住み、真ん中に共通キッチン棟があるというスタイル。

「団地みたいなもんでは?」と思って聞いていると、けっこう明確に「コミューン」志向を持っている人たちが選んで住む場所らしい。でも、1970年代にあったような「コミューン」ほど政治色の強いものではない。

※何年か前に飛行機で見たデンマーク映画「Kollektiviet」が、まさにコミューンを描いたものだった。これはけっこう衝撃だった。

実は半年のデンマーク滞在の間で何度もコ・ハウジングの話が出てきた。子育て中の若い人たちの間で今すごく流行っているらしい。家を買うことになるのでけっこうな出費だけれど(つまり、若い人の中でも割と高学歴で高収入のインテリ層だということだ)、子育て世代が「近所のつながり」を求めて戦略的に共同居住のスタイルを選択するという現象はおもしろい。

サイトを見ていると、高齢者向けのコミュニティハウス、エコビレッジなど、目的や志向によってソートをかけられるようになっている。

いわゆる「地域コミュニティの衰退」に対抗する動きになっているんだろうか。

【デンマーク記録】くらしはじまり

2017年の夏の終わりから半年間、デンマークで暮らした。

大学に就職する前のその貴重な6か月を、大好きな国で、研究に費やすことができたのは本当に幸運だった。たくさんの素敵な人に出会った。

当時は自分用にちょこちょこ日記を書くしかできなかったけど、あの時期に見聞きしたこと、考えたこと、受けた刺激や話した内容、振り返ってみないともったいないんじゃないかという気がしてきたので、掘り起こして記録してみようと思う。

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暮らしていたのはRoskildeというコペンハーゲン郊外の大学のある町。

大学から自転車で5分のところで、初老のご夫婦のおうちを間借りしていた。ピアとヤン、ふたりは半年間ずっと私のサポーターだった。

ピアは社会福祉関係の公務員で、毎日私と話すのを楽しみにしてくれた。友達に話せないようなこともたくさん話した。ヤンは元ヒッピーの共産党系の建築家で、もう70歳のおじいちゃんだけど超かっこいい。いつも裸足で歩いていて、素手でくるみの殻を割ったりフォークで瓶ビールの蓋を開けたりする。

ふたりの子どもは3姉妹で、ふだんは遠くに暮らしている。3姉妹の部屋を借りて私は暮らし始めた。私の部屋のベランダにはリスや野ウサギが遊びにきて、むかし読んだリンドグレーンの物語を思い出した。ピッピやカッレくんみたいな子ども時代を過ごせたらいいのに、とずっと思っていた私は、大人になってピッピやカッレくんみたいな家で過ごせることが本当に夢みたいだった。(部屋にカーテンもブラインドもないので、訪ねてくるお客さんから私の部屋の中が丸見えなことは、最初は気にしないことにした。)

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(初めてうさぎと目が合った朝)

ヤンが設計した大きな窓の多いおうち。2階は夫婦のためのリビングと書斎、寝室がある。1階にある広いキッチンとダイニングは共用、3姉妹用のリビングと個室1室、3姉妹のバスルームを私が使っていいという。

ご飯は各自で、と言っていたけど、そのうち「晩ごはんは一緒に食べたほうが効率がいいのでは」という話になり、予定が合う日は3人で晩ごはん、週に1回は私が夕食当番をすることになった。

デンマーク人の夕食は、オーブンでメインを一品、それに付け合わせ(イモ)かサラダがつけば上等。簡単なのに豪華で良い。ピアが野菜とナッツが好きなので、いろんなサラダを食べさせてくれた。キャベツとナッツのサラダとか、レタスとオレンジのサラダとか。私は鍋でお米を炊くのが絶望的に苦手で、お米を炊こうとすると焦がしてばっかりだったけど、ふたりはいつも笑ってくれた。

 

半年間、毎日が穏やかに過ぎて、少し寂しくなったり落ち込むことがあっても総じて機嫌よく居られたのは、やっぱり一貫してふたりがサポートしてくれていたからだ。デンマーク滞在から5年が経つけれど、今でも恋しいのはデンマークの景色でも、料理でも、空気でもなくて、やっぱりピアとヤン。

ふたりに見守られながら、半年間で私は少しの成長を遂げたと感じている。その半年の成長のお話を、少しずつ、ここでご報告していきます。